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2009年新たなる取材 [2009中欧2ヶ国の旅]

2009年5月1日(金)、午前8時10分、成田国際空港 第1ターミナル

ロンドンの取材後、4ヶ月経って、私はまたもや成田の空港にひとりいた。マスクをして。
これから新たなる取材の旅が始まるのだ。取材期間は1週間。
前の晩、私は眠れなかった。不安だったからである。新型インフルエンザのことはもちろん。
でもそれだけではない。これから訪れようとする国の情報が少ないゆえに不安だったのである。
もったいぶらずに今回の私の取材の旅程を簡単に説明させていただくと、こんな風である。

5月1日(金) 成田発→ミュンヒェン乗り換え→チェコ共和国首都プラハ着、プラハ泊
5月2日(土) 取材の後、プラハ本駅から夜行列車に乗車
5月3日(日) 夜行列車でポーランド共和国第3の街クラクフ着、取材。クラクフ泊
5月4日(月) 取材。クラクフ泊
5月5日(火) クラクフから列車でポーランド共和国の首都ワルシャワへ。取材。ワルシャワ泊
5月6日(水) ワルシャワ発→ミュンヒェン乗り換え
5月7日(木) 成田着


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今回の取材地域

つまり、今回私はチェコとポーランドという中欧の2ヶ国を取材したのだった。
チェコに関しては過去にも訪れたことがあるから、雰囲気は何となくわかる。
それにプラハなんかは人気の観光都市だから、書店へ行けばガイドブックの類はかなりある。
問題なのはポーランドであった。ポーランドに関してのガイドブックは非常に少ない。
仕方がないので、私はネットをとび回り、情報の収集に努めたのである。
サイト上のポーランド語と格闘することしばしばで、言葉の面でも不安が増してきた。

A26 地球の歩き方 チェコ/ポーランド/スロヴァキア 2009~2010

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そもそも、なぜにポーランドに行きたかったのかということなのである。
それには、まずチェコを再訪したかった。という前提があった。
ビェール好きの私りんこうはチェコのビェールをまたもや味わいたかったのである。
ただ、チェコだけではなく、未訪の国家にも足を踏み入れてみたい。という欲望もあった。

旅の指さし会話帳 (58) ポーランド ここ以外のどこかへ

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  • 出版社/メーカー: 情報センター出版局
  • 発売日: 2004/08
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計画立案時、私は世界地図を取り出し、チェコの周囲の国家を確認してみた。
チェコ共和国は周りを4つの国に囲まれていた。ドイツ、オーストリア、スロヴァキア、ポーランド。
となると、この4ヶ国のなかで、私の未訪の地はポーランドということになる。
従って、私は自然とチェコ~ポーランド間のルートを模索することになったのである。

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それだけでは終わらない。欲張りの私は世界遺産を多く訪れたいという欲望も出てきた。
例えば「ヴィエリチカ岩塩坑」という世界遺産がある。
実はここはかねてより興味があったポーランドの世界遺産なのであった。
ポーランドに行くとなると、こういうところにも絶対に訪れて足跡を残したいりんこうである。
さらにさらに、ポーランドには訪れたいお墓もある。情報が少ない分、墓参は困難を極めるだろうが、
こういうところも情報収集を重ねてなんとかお墓と対面したいところである…。

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こんな風にして、私は1週間で収まるような上記の取材計画を練り上げたのだった。
情報が少ない分、いつもよりはキツキツでなく、弾力性を持たせた旅程にはしたつもりではあるが、
この計画をうまく遂行することができるかどうか。本当にいつにもまして不安なのだった。
気合を入れてマスクを装着し、たぶん緊張した面持ちで空港内を歩んで行った私は、
空港内薬局でイチローの活躍の影響からか、普段はまず飲むことのないユンケルを購入。
これを飲み干し、精神を昂らせて出国審査へ向かったのである。
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プラハに到着 [2009中欧2ヶ国の旅]

2009年5月1日(金)、午前10時30分、成田国際空港 出国審査を終えて

既に重い荷物から解放され、出国審査も終えた私はマスクを外すことはしない。
周囲を見ても、やはりマスクの人が目立つ。さらに私は時折、意味もなく便所で手を洗う。
意味もなくとは言ってみたものの、やはりそれはインフルエンザを懼れての行為である。
この時、日本国内に新型インフルエンザの感染者はまだいなかった。
空港での水際対策の徹底、メキシコ、アメリカ方面からの便の機内検疫が話題になっていた頃。
こんな時に海外に行く奴はどうかしている。というような風潮も出てきていた頃。

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乗った飛行機

フライトは午後0時20分で、ほぼ定刻に飛行機は飛び立った。
その機内でも私は執拗にマスクを装着していた。機内食を食するときは除いて。
装着しているのは2枚で1000円という値段で販売されていた高品質マスクである。
快適に装着できるよう工夫が凝らされたマスクであるようだったが、
さすがにこれを機内で10時間以上付けていると耳の後ろが痛くなった。
それでも、閉ざされた空間の機内、私は感染を懼れてマスクを着け続け、ミュンヒェンに到着。

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機内食メニュー インフルエンザの影響か「豚カツ」食べる人は少なかった気がする

相変わらずマスクをしたままの私。EU域内の入国審査のときだけマスクを外した。
空港内ではホフブロイハウスの看板を見つけ、ビェールの都にきたことを実感。
しかし、気になるのはミュンヒェンではマスクを装着している人間がいないことである。
マスクをしている人は私を含む成田からのフライトできた日本人たちだけなのである。
私はいぶかしく思い、あらためて空港内を往来する人間を観察したが、結果は同じ。
この時、ドイツではすでに感染者が数人出ていたのである。それなのに、この無防備状態。

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ホフブロイハウスの看板

この日本との意識の違いはどこに由来するものなのだろうか。
ゲルマン民族の自信の表れなのだろうか。あるいは潔く予防対策を諦めたのだろうか。
などと勝手に想像したが、考えても見れば、EU加盟国では国境の往来がほぼ自由なんだし、
誰がどこの国から入って来たとか、そんなことまではチェックしきれない。
周りを海に囲まれた日本とは意識も異なってくるはずであろうとは思われた。
ちなみに調べたところ、6月2日現在の感染者数は日本385人。ドイツ31人ということらしい…。

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ビェール Paulaner を飲む

時刻は現地時間5月1日の午後6時を回ったところで、プラハ行きの便まで1時間以上時間がある。
私は以前欧州を旅した時に余ったユーロコインを持ってきていたので、これを使いビェールを呑んだ。
マスクをあごに下げ、マスクの今後の処遇を考えながらPaulaner というビェールを呑んだのだが、
このままマスク姿のまま旅をしていてはかえって怪しいと判断し、ついに外すことを決定。
三重ガードでウィルスを寄せ付けぬという高品質マスクだったので未練はあったが…。

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乗った飛行機

プラハ行きの便に乗り込んだ。2年ぶりのプラハまであともう少し。
窓の外を眺めると夕暮の空。眼下にボヘミアの森が広がりだした頃にはもうその日も暮れた。
1時間ほどのフライトでプラハに到着。日本円からチェココルナに両替をし宿を目指す。
ここで私は1日乗車券というのを購入した。これさえあればトラムもバスも地下鉄も1日乗り放題。
交通機関を利用する度に1回券を購入してもいいが、わずらわしいので1日券を買ってしまった。

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プラハ市内交通1日券

空港から119番のバスに乗り、地下鉄A線の終点駅 Dejvická へ。そこから4駅のMůstek 駅。
下車して地上に出ると、そこはヴァーツラフ広場。この景色。ついに私はプラハに戻って来た!
さて、今夜泊まるホテルはこのヴァーツラフ広場沿いにある。
アール・ヌーヴォー風の見事な外観の建物で、Hotel Evropa というホテルである。
前にプラハを訪れた時からこの建物は気になっていた。それでは早速チェックインすることにしよう。

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(左) ヴァーツラフ広場、騎馬像と国立博物館 (右) Hotel Evropa
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Hotel Evropa [2009中欧2ヶ国の旅]

2009年5月1日(金)、現地時間 午後9時30分、プラハ Hotel Evropa

今から私がチェックインしようとしているHotel Evropa とはどんなところかというと。
・1889年、建築家Bělsky によって建てられた歴史ある建物である。
・その後、1903~05年にかけて今のようなアール・ヌーヴォー様式に改築。
・その時に参加した建築家はBendelmayer、Hübschmamm、Letzel である。
と、これは現地で得た小案内に書いてあったことなんだけれども、
この内、Letzel という人は日本に大いにかかわりがあった人物のようである。

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ヴァーツラフ広場

Letzel(ヤン・レツル)は広島の産業奨励館を設計したチェコの人物なのである。
この産業奨励館は1945年原爆が投下されたことにより現在では「原爆ドーム」として残る。
レツルは1907年に来日して、日本に多くの建築を残したようだが、
広島の産業奨励館のように、それらのほとんどが戦災・災害で失われてしまったらしい。
そのレツルが来日前にプラハで建築に携わった建物のひとつがここHotel Evropaなのである。

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(左)Hotel Evropa 案内 (右)料金体系

Hotel Eveopa は隣にはカフェーが併設されており、入口が少々わかりにくかったが、
恐る恐る建物の中へ入ると、レセプションがあり、おっさんが座っていた。
私は渡航前にインターネットを通じ予約していたので、その際の確認メールを提示。
すると、おっさんは宿泊料金形態を一通り説明。現金で支払うと10%オフ。早速支払った。
ちなみに宿泊料はシングル、風呂なしで1泊1100チェココルナ。日本円で5500円ほどか。
これが現金で支払うと990チェココルナ、5000円弱となる。由緒ある建物にしては安く泊まれる。

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今回の取材ではまずここに1泊するのである。そして明日早朝にはチェックアウトである。
おっさんから部屋の鍵を渡される。509という番号の部屋の鍵。エレベーターで上階へ。
このエレベーターがまるで何かの舞台装置のような感じの代物で焦ってしまい、
更には、このエレベーターを出て「5」のフロアーに着くと廊下は真っ暗であり、不安になった。
その暗い中「509」の部屋を捜しあて、鍵を二重に回しドアーを開け室内へ。

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室内

中はとても広い部屋であったが、このホテル。壮麗な外観と打って変わって内部はボロい。
部屋を歩いてみたが、床がぎしぎし鳴る。設えられた電話もいつの電話なんだという電話。
確かに渡航前、このホテルの評価をネット上で調べてみたが、芳しいものではなかった。
そのわけを得心したが、ロケーション的には便利なところだし、安価で泊まれる。
ここが歴史的建物であることには変わりないのだし、泊まったことはいい話の種にはなろう。

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室内の電話

部屋でしばし休んだ後、ヴァーツラフ広場をぶらぶらと歩いてみた。
午後10時を過ぎているが、多くの人が行きかい騒がしい。
路上で売っていたホットドッグを購入し、パクついて今宵の夕食とした。
国立博物館には何やらメッセージの光が投影され空に向かってスクロールされている。
ああ、今回の取材最初の晩。プラハである。私はビェールを呑みたくなってきた。
しかし、今からビアホールに行くには時刻も遅くなりすぎている。

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ホットドッグ

そうだ、Hotel Evropa に併設されたカフェーに行こう。ここでビェールを呑もう。
と、私はカフェーに陣取ったのだが、待てども待てども接客してこない。
痺れを切らして店員を呼んでみたが、順番ですからみたいなことを言っている。
さらには、もうそろそろ閉店ですよ。とかぬかしている。なんなんだよ。私はカフェーを出た。
ホテルのフロントで缶ビェールを売っていたので、チェックイン時のおっさんに声かけて購入。
部屋に戻ってこの缶ビェールを呑み、取材1日目終了。チェコ最初のビェールは缶ビェールか…。

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缶ビェール、バドワイザー
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